2013年4月3日水曜日

AIJ事件と厚生年金

「とりあえず、厚生年金なら手厚いし、安心」。年金の問題がたびたび騒がれる昨今でも、こう思っている人は結構多いのではないかと思います。「未納」の問題がしばしば持ち上げられる国民年金と違い、厚生年金は確実というイメージが根強いようです。厚生年金の保険料は給料から天引きされるものでもありますし、払っているという実感があまりない方もいるかもしれません。どうせ払うかどうかは選べないし、将来戻ってくるならいいや、と思っている人もいるでしょう。

 あまり話題にされることすらない厚生年金ですから、その財政状況について知っている人など一握りでしょう。実は、この厚生年金は、国民の大多数が知らないうちに、すでに待ったなしの状態に陥っているのです。「待ったなし」というのは、一刻でも早く何らかの手立てを講じなければ、制度が維持できなくなる状態にあるということです。年金や経済の専門家などのなかにはこの状況に危機感を持ち、著書などを通じて問題を訴え続けている人もいますし、もちろん官僚や政治家も、事態の深刻さは重々ご存知のはずです。しかし、大きな事件でも起きて、国民が騒ぎだすことでもない限りは官僚や政治家が、わざわざ「触らぬ神」を国民の前に引っ張り出すことはないでしょう。大きな事件とは、例えば厚生年金基金の廃止を決定付けた、AIJ事件級の出来事です。

 AIJ投資顧問による「年金消失事件」は、新聞やテレビで大きく取り上げられました。普段、経済にはあまり関心がないという人もニュースなどで目にしたのではないかと思います。AIJ投資顧問の浅川被告は、顧客から預かった資金の運用に失敗して巨額の損失を出していたのにもかかわらず、運用がうまくいっているように運用成績を粉飾して、約10年間営業を続けました。粉飾された数字を信じてAIJと契約を結ぶ顧客は増え続け、損失額は膨らみました。金融庁の調査が入り、損失が明るみに出たころには、顧客から預かった、1500億円もの資産が、消えてなくなっていたのです。

 AIJ事件の実態は、結局、浅川被告が基準価格(純資産価値)を粉飾して営業を続けたというだけで、背景に複雑な背景やカラクリはなかったようです。むしろ、AIJ事件を増幅させた外部要因こそ白日の下にさらすべき、「深き闇」であったのです。その最たるものが厚生年金基金制度の制度疲労でした。

 AIJ事件を受けて、厚生労働省は問題のあった厚生年金基金制度を廃止する方向で動き始めました。厚生労働省にとって、AIJ事件は欠陥のある制度を放置した自身の責任を曖昧にする絶好のチャンスに映ったようです。この厚生年金基金制度には長い間に蓄積された、さまざまな根深い問題があったのにも関わらず、厚生労働省はこれまでまったく抜本的な対策を講じることができていなかったからです。

 厚生年金基金制度の廃止をめぐってはようやく結論が見えてきました。結局、厚生年金本体にまぶしてしまうというどんぶり処理です。いよいよ問題は本丸の厚生年金本体へと移ったことになります。

 これまでも、厚生年金を含む公的年金に関する問題はマスコミでも散々騒がれてきました。年金にまつわる問題というと、いろいろな報道が思い出されますが、とりわけ大きな問題を抱えていたのは、年金特別会計という伏魔殿を通じた利権の構造でした。年金官僚は複雑な制度を意のままに操ることで、事務費の流用や巨大保養施設の建設などの壮大な無駄遣いをおこない、それを長年にわたり繰り返してきました。また、その不透明な資金の流れの中に官僚OBの指定席をいくつも作り出してきました。

 ただ、これらの問題は、ハコモノという外形を伴うだけにわりと国民にも分かりやすく、マスコミで大きく報道されるたびに、官僚たちにも少しはやましさがあるのかそれを認め、問題は少しずつ解決されてきました。一方、私が問題だと思っているのは、そのような年金行政の問題ではなく、国民には問題の実態がつかめず、官僚にはやましさがないが故に一向に出口の見えない、制度の闇というべき問題なのです。

 「騙すつもりはなかった」「一所懸命走り続けた」「取り戻せると思っていた」

 顧客から預かった1500億円もの年金を消失させた浅川は、事件発覚後の衆院証人喚問でも繰り返しこのように述べました。彼自身は、悪意はなく、一時的な損失も必ず取り返せると信じてやっていたといいます。

 そんな浅川を世間はあざ笑いました。「何馬鹿なこと言ってんだ」「結果はどうなったって言うんだ」「噓こいてんじゃないよ。よくもしゃあしゃあとそんなこと言えるな」かたや大真面目、もう一方は「それを詐欺というんだよ」で議論は永遠に嚙み合いません。

 しかし、このあまりにも滑稽な光景はそっくりそのまま厚生年金の問題にも当てはまります。およそ信じがたいことに、現状もここに至るまでの経緯もAIJ事件と瓜二つなのです。

 厚生年金は粉飾されています。それは残高という意味ではなく将来の支給見通しに対してという意味です。厄介なことにそれを操る官僚たちに悪意は微塵もありません。だからこそ深刻なのです。損失も取り返せると信じ、粉飾を続けた浅川と同じように、高級官僚と御用学者は、国民のために「一生懸命」考え、「良かれと思って」粉飾を繰り返し、問題を「先送り」にし、いつか事態が好転し「取り返せる」ことを信じ祈っているのです。

 政治家は官僚・御用学者のやり方を疑いはしても、手間暇かかる改革に踏み出すよりは、官僚の書いたシナリオに乗っかっておくほうが無難だと思っています。彼らにとって大事なのは、国民の将来ではなく、政治家としての今なのです。浅川は逮捕起訴されるまで毀損した資産の問題から逃れることはできませんでしたが、官僚や政治家は問題を先送りにし、やり過ごせば、責任は問われません。

 このままでは厚生年金にAIJ事件どころではない事態が起こるのは目に見えています。何十年間も保険料を払い続け、老後の生活を年金に託す多くの国民は、年金資産の不透明な運用を続ける官僚やそれを黙認する政治家をなぜ追及しないのでしょうか。国民は彼らに下駄を預けたままでいいのでしょうか。

 悔しいことに、国民自らが年金の実態を知ろうとしても、簡単ではありません。書店や図書館の年金コーナーには「年金解説書」がズラリと並んでいますが、ほとんどは、現行の制度の中で、どうしたら年金で損をしないで済むかという観点で書かれたものばかりです。著者は、厚生労働省や社会保険庁のOB、現役社会保険労務士などの体制側であるため、内容も厚労省の説明を100%鵜呑みしたものになっています。得する年金術というミクロな視点も結構ですが、それよりも大切なのは根っこにある問題を正しく理解することでしょう。

 一部の良識ある学者は、厚生年金の粉飾や実質的な破綻を指摘していますが、その声は国民には届いていません。

「年金村」はガッチリと御用学者にガードされていて、少しでも盾突こうものならマークされて干されてしまうという事情もあり、学者はどうしても腰が引けざるを得ないのです。もうひとつの理由は、学者のレベルからは平易に書かれていても一般の人にはそれでも難しすぎるのです。そんなわけですから、書店でもせっかくの良書も目立たないところにひっそりと置かれています。

 こうした状況のなかで恐るべき公的年金の実態を国民が知るのは、いつまで経っても大変難しいのです。

 問題の根っこに、ハードランディングを避け、問題を先送りすることを許容する日本国民共通の遺伝子があります。この遺伝子は、粉飾ウイルスに耐性がありません。AIJ事件は、これから明らかになる年金問題のほんの序章に過ぎず、粉飾ウイルスはさらに猛威を振るうでしょう。

 今必要なのは、国民が厚生年金の実態を知り、先送りせずに問題と向き合って解決に向けて踏み出すことです。その一歩は年金問題の解決だけでなく、国民主権の回復、ひいては、長引くデフレからの脱却にもつながるのです。