2013年3月29日金曜日

雇用流動化

解雇規制の緩和や雇用の流動化をどう進めればいいのか、非常に繊細な問題です。
向かっている方向はなんとなくわかっていても、なかなか思いきった提言や改革ができないのが悩ましいところです。

中高年の給与水準が、相対的に高止まりしていることが、この問題の大元だとも考えられます。しかし、中高年からすれば、若いころに賃金を低く抑えてきた分を後付でもらうというルールを信じてきたわけで、いきなりルールを変えるといわれても、そんなことは聞いていないといことになります。でも、この仕組みはいつまでも、もたないだろうということもうすうすとは感じています。

20代30代は、すでに賃金の二極化への心構えはできています。単純な仕事を選べば、賃金の伸びはあまりなくとも雇用を確保できる可能性は高まります。高度な専門職は賃金が急激に伸びていきますが、いつどこで転落するかはわかりません。30年間このままあいまいにしておけば、いずれなるようになるのでしょうが、ゆがみはなんとか少しでも前倒しで解消したいものです。たぶんこれもアベノミクス4本の矢になるべき類のものだと思います。

対策のひとつが、「現金による解決」だと思いますが、昨日首相が否定したことでこの問題も袋小路入りしそうな雰囲気です。

私自身も現在仕事を探していますが、中高年の雇用市場はほとんどありません。新卒の就職難ははみんな知っていますが、中高年の再就職問題は水面下に潜っています。ハローワークで何十回紹介されても面接にすら呼ばれません。

思いっきり水準を下げたとしても、現行の中高年の賃金体系の壁がある限り、安くても働きたい労働者を雇用市場から迎え入れるのは非常に難しいのです。過去の肩書が逆効果に作用する場合もあります。扱いにくくてもいやだし、組織にまた新たなゆがみを生むことを保守的な企業は好みません。

安い賃金でもいいから働きたい人と、高いけどしょうがないから古い従業員を残す企業とのギャップが埋まっていくのは、このままだとおそらく10年単位の時間がかかるのでしょう。

「現金による解決」によって現在の職場を離れたとしてもも、もしそこに「中高年の労働市場」が存在すれば、物事は動き始めるはずです。

もう少し知恵を絞りたいところです。

2013年3月28日木曜日

厚生年金基金存続について

厚生労働省は廃止を検討していた厚生年金基金制度について、財政が健全な一部の基金に関しては存続を認める方針を固めたようです。健全な基金の存続を求める自民党の意向を踏まえ、民主党政権時代に打ち出した制度廃止方針を見直し4月に関連法案を国会に提出するそうです。 

この「健全な基金」という意味が非常にあいまいです。
これまで、後追いのつぎたしつぎたしで、代行返上のルールを何度もゆるくしています。どの基準でもって健全とみなすかはよくわかりません。
過去の実績に加え、今後の運用方針、運用体制、いろいろと考えるべき点は多そうです。

ここのところの相場上昇で、一息ついている基金は多いと思います。やらせろという基金側の意見に抗しきれなくなったものだと思います。自民党の歯切れの悪さが復活しているようで気になります。国民の関心が薄いスキにということでなければいいのですが。

基金=代行制度ですから、基金を維持するということは国よりうまく運用する自信があるということです。本来の企業年金部分に比べ約5倍程度の資金を預かり国と運用競争をするわけです。いわゆる5倍のレバレッジがかるわけです。国の運用がへぼだからという考えがあるかもしれませんが運用に絶対はありません。企業年金本来部分にも影響がおよびかねない危険な仕組みをどうしてそこまで死守したいのでしょうか。本当にそれが従業員福祉のためになるのでしょうか。

存続する基金には厳しく今後一切変更のきかない厳しいい返上ルールを適用して、存続させたのちに返上する場合は厚生年金本体への負担が一切かからないようにするというのが筋だと思います。この辺の議論は要注目です。






2013年3月27日水曜日

民間にはメスところで公務員は

いよいよ、定年延長が動き出しました。
年金支給開始時期とのギャップを埋めるためには、多少いびつでも進めるしかないのでしょう。いずれにせよ大幅な賃金カットは避けられません。それでも同じ職場にのこれるだけでもマシだと考える人は多いのでしょう。

いろいろとヒヅミが多いこれまでの制度仕組みの中で、いよいよ民間雇用のタブーにメスが入ることになります。これまでは、派遣社員ばかりが狙われてきましたが、いよいよ正社員の番です。

これまでの護送船団方式は年功序列で、多くの管理職を作り出してきました。右肩上がりの時は給料の後払いでうまくいきましたが、とっくに破綻しています。そのヒヅミの一つが数百万人いるといわれる社内失業者でしょう。これまでは、なんとか社内で抱えてきた人員も解雇規制の緩和とともに市場に放出されることになるのでしょう。

また、これまでの60才という節目は意味をなさなくなるでしょうから、前倒しで中高年の賃金カットが進まざるを得ないでしょう。いよいよ「約束が違う」とは言ってられなくなってきました。

この辺に対する不安が、デフレの大きな原因だったともいえるのではないでしょうか。
デフレの被害を最も受けなかったのがお年寄りと公務員と政治家です。
公務員制度改革は一向に進みませんし、国会議員の定数削減も牛歩です。
官僚は民間の動きとは裏腹に、相変わらず天下りを続けています。
天下りできないのであれば省内で受け皿が必要だという議論はいつまで続くのでしょうか。

民間は中高年の社内失業者がまさに雇用市場に放出されようとしています。中高年の再就職市場は今でもお寒い限りですが、一段と厳しくなるのでしょう。

こんなときでも、母屋でスキヤキを食べている場合でしょうか。








2013年3月25日月曜日

次元の違う金融政策の正体

黒田新総裁の会見は表情豊かです。
市場に語りかける姿勢を感じさせます。

その一方で、とことんやる、何でもやるとしている金融政策の具体的な内容は相変わらず見えていません。

次元の違う金融政策とは、ズバリ「期待に働きかける」ということです。
デフレの原因を単なる貨幣現象ととらえている経済学者とは少し違うようです。

デフレは、やはりさまざまな経済の複雑な要因が絡み合ったもので、単なる物と貨幣の交換比率の問題ではないと考えているからこそ、期待に働きかけることが重要なわけです。

つまり、次元の違う金融政策とは、「口先を最大限に使った景気刺激策」ということになります。貨幣の量を増やす、物価を上昇させる、何でもやるというのは、すべて演技で、実はどうでもいいのです。景気を刺激することこそが目的ということになります。

この舞台裏は、なるべく気づかれないほど効果があるわけです。具体的な中身は出してはいけないということです。

2013年3月24日日曜日

本当の目標

物価上昇率2%というのは本当に目標なのだろうか。

目標とみせかけた高度な手段ではないだろうか。
そう考えたほうが合理的だ。

金融緩和によって物価が上昇するルートは依然として極めてあいまいだ。

しいて言えば、期待に働きかけるということなのだが、
そういう意味では、相当これまでうまくいっている。

すでに4か月も時間を稼げた。この調子で時間をかせげれば、アベノミクスの1本目の矢としての役割は十分果たしたといえるのではなかろうか。
物価なんか本当は上がらないほうがいいに決まっている。
ほっておいても消費税が3%上がるのだ。

とにかく、何でもやる、2%は必ず達成する、こういい続けることが実はこの政策の最大のポイントなのだ。でも、本音はムリだとわかっている。

だとすると、目標の2%を取り上げてあんまり政府や日銀を追いこんではいけないということになる。みんなで有効だと信じるフリを続けなければいけないということだ。

こういうことを指して、白川総裁は、「言葉による金融政策は危うい」と一言残して、日銀を去って行ったのではないだろうか。

深い、実に深い駆け引きである。

2013年3月22日金曜日

期待が先行


期待に働きかけるというのが、今回の金融政策のミソだとすれば、期待が先行した現在の状況は非常にやりにくい。その辺の感覚は学者にはわかりにくいと思う。

ここにきて、慎重な言い回しがちょろちょろ出始めていることからもその辺の空気が感じられる。

そんな中で、麻生財務大臣の「いかにも学者さんらしい...」発言は結構的を得ている。やはり皮膚感覚があるのだろうか。
これからは期待の期待をコントロールするという非常に高度な段階に入ったのではないだろうか。

無制限にといいながら、本当は無制限にはやりたくないのが本音だろうから、その皮が意外に早く剥げてしまう可能性もあるだろう。そのことを指して白川元総裁は言葉による金融政策は危ないとしていたのだろう。

2%のインフレ目標というのが気になる。だめなら辞任なんて気楽なもんだ。帰るところのある学者はいい身分だ。
何が何でもやるということになれば、日銀を追いこんでしまうことになる。それこそ簡単に閾値を超えてしまうこともある。

早いこと期待が効いている間に、第二第三の矢をしっかりと打ってほしい。
そして、第一の矢がうやむやになってくれるのが一番いい。

2013年3月20日水曜日

利害相反する各世代に共通する経済スローガンとは何か

全体のパイがなかなか増えない経済においては、何かをやればほかの何かをあきらめざるをえない。

80年代までは、経済成長は続いていたし、国民の向いている方向は「今日より明日が良くなる」で一致していたから、だいたい何をやるにも大きな関門は少なかった。
うまくいく頃に作った仕組みを引きずりながら、ここまで来てしまったのが、今日のいろんな閉塞感を生む大元になっている。

政治が結果責任というのならそれは自民党の責任だ。

今日の二つの大きな問題は、経済全体のパイがなかなか大きくならないということと国民が世代によって全く番う方向を向いているということである。

最初の問題には自民党政権が新たな気持ちで頑張っている。しかし、2番目の問題はなかなか厄介だ。これを調整するのが政治の役目のはずだ。時間と苦労が大きくかつ地味ときている。しかも、扱い方によっては政治生命を脅かしかねない危険性を持つ。本音ではできれば手を付けたくはないと見える。

60代以上は全体を見れば金持ちだが、ミクロでみるとスーパーリッチとぎりぎりの年金でインフレ、消費税増税の足音におびえる人たちに2極化している。前者は多少の負担はやむを得ずと思っていても、後者はただひたすら現状維持を願うだろう。

50代は年金を期待してはいけないと思いながらも、ある程度の期待はしているという非常に矛盾に満ちた人たちである。年金支給開始までの間をどうつなぐかが目下最大の関心事である。この世代も、改革を口にするものの、本音はなんとか現状維持であろう。

40代は目先の教育費用と住宅ローンの支払いのことで頭がいっぱい。ヘタするといつ肩をたたかれるかもわからない。自分のことで精いっぱいで、政治を考える余裕はあまりない。アベノミクスにお任せするしかない。

20-30代はバブルを知らないし、不可確実性への心構えはきちんとできている。最初から覚めている。年金には期待できないと思っており、自動的に天引きされる年金積立には不満も感じている。多くが政治に不満を感じているものの、どうせ何も変わらないと思うので積極的に関与しない。

これらの人たちを束ねて国のかじ取りをしなければならないわけだから、本当に政治家は大変だ。これらに対する答えの最小公倍数が「高度経済成長を取り戻す」ということになる。個別にゼロサムゲームをやっていては収拾がつかないということがなんとも悩ましい。しかし、与党野党問わず政治家には、ぜひこの2つ目の難題も忘れずに手を付けてほしい。

2013年3月16日土曜日

模索が続く電子書籍

個人的に注目していた 「個人出版ゲリラのための戦う電子書籍メルマガ
週刊だったが、読者が思うように伸びず10号で廃刊が決まった。
この業界の動きは早い。

個人の電子出版を応援するために、日本一アマゾンキンドルストアに詳しいとされる32歳無職の男を編集長に抜擢して大手ブログが始めたもの。

ブログの方は無料なので、昨年末に立ち上げたにも関わらず、すでに月間10万ビューレベルに到達してる。電子出版でヒトヤマ当てたい小説家の卵たちが頻繁にチェックしているのだろう。

ところが、ブログを発展させた電子書籍は皮肉なことに全然売れない。
おそらく、電子書籍を買う余裕もない人たちが読者であるという大きなギャップが存在するのだろう。

今誰でも、電子書籍は出せる。しかし、それを世の中のお金を払ってくれる人たちに届けるのは至難の業だ。

2013年3月15日金曜日

景気の気はまず気から

ちょっと前まで、どんよりしたムードだったのに、政権が変って「本気でやります」とぶちあげただけで世の中が動き始めた。

アメリカ住宅市場に底打ち感が出ていたこと、これまでのドル安効果でグローバル企業が好調さを保っていたこと、NYダウが上昇波動に入ったこと、欧州危機がしばらく沈静化していることらが重なったことも大きい。

また、民主党がふがいなかった分の反動による期待感が高まったこともある。期待に働けるといっているが、まさにそれを地で行く展開だ。

国民の多くは、大胆な金融緩和=緩やかなインフレ=デフレ脱却の公式が頭にしみついている。

でも、そんな時だからと楽観論にくぎを刺す論者もいるが、楽観論の前では劣勢で結構矢面に立たされている。

論者・弁者を名乗るからにはここでどちらかのスタンスを出しておかなければ、埋没してしまう。
ここは、絶好の露出チャンスなのでここぞとばかりに緊急出版が続く。極論を言って当たればラッキーだが、はずれても十分余りある知名度が残る。緊急出版の裏にはそんな本音がのぞく。絶対的な正解がない経済学というのはこういうときにありがたい。

2013年3月13日水曜日

金融政策論戦の先

新しい日銀に求められることは、中央銀行としてできる限りのことをするということだろう。その場合、通貨の信認を守るという絶対的な使命があることは当然過ぎて言うまでもない。その中で、知恵をだし、汗をかき、市場との間で蝶々の駆け引きをやれということ。要はFRBのバーナンキやECBのドラギに負けるなということである。

日本はようやくリーマンショック前を回復したというのに、NYダウは早々と史上最高値を更新した。欧州にしても南欧諸国の問題を抱えながらも、一時期の危機感は大きく後退し最高値を虎視眈々とうかがっている。それに比べ日銀はいったい何をやっているのだという思いが極まっていたのがリフレ派だろう。それに対し、反リフレ派は金融政策万能論のような浮足立った風潮が広がることが気に入らないようだ。

しかし、日銀が中央銀行としての独立性を守り、独自のやり方でいままで以上にできることは何でもやるということであるならば、あんまり目くじらを立てるほどのものでもないはずである。結局、非伝統的金融政策、無制限の金融緩和、前例のない金融緩和といろいろいうけれど、やろうとしていることは、買い入れ対象資産を増やして日銀のバランスシートをさらに膨らませるということにほかならない。それが通貨の信認を守るという範囲でどこまでが適正なのかが前もってわからないということが悩ましい問題なのである。それに答えがないから、反リフレ派は必要以上に神経をとがらせる。ましてや、物価上昇を目標にすることが、際限のないバランスシート拡大につながるのではないかと懸念する。ある閾値を超えるとインフレがコントロールできなくなると主張する。現実にはこれまでも買い入れを増やしてきたわけであり、これまではよかったが、これからはいけないというわけでもなかろう。ただ、その限界がどこにあるのかがわからないから怖いのである。

しかし一方で、その限界に最初から言及してしまうと出る効果も半減してしまうというのが良識的なリフレ派の考えなのだろう。その辺の阿吽の呼吸が通じ合っているのであれば、あんまり金融政策論議を周りでああだこうだいうことは杞憂なのかもしれない。しばらく休戦してみてはどうか。

ところで、NYダウの史上最高値更新は何を意味するのであろうか。FRBの大胆な金融緩和で援護射撃をする間に、アメリカの持つ潜在力が動き始めた結果といえそうだ。好調な企業業績に支えられていることは間違いないが、雇用情勢や末端経済との間に存在するギャップは少し気になる。

果たして日本のもつ潜在力は何か。伸ばすべきものは何か。成長戦略・TPP参加というのが叫ばれているが、人口減という大きなハンディキャップを十分に補ったうえで潜在力に働きかけることができるのであろうか。日本最強論者たちが口をそろえて世界一だと強調する、日本国債を十分吸収できるほど潤沢にある民間貯蓄とこれまでに貯めてきた対外純資産、この二つをもう少し具体的に活用する方法が今こそ必要なのではなかろうか。特に高齢者にかたよっている金融資産をどう生かすかが大きなカギを握っているのではなかろうか。これこそ大いに議論したい。

2013年3月11日月曜日

仕方なく虚偽を認めた。失敗は成功のもと。

1週間ほど前に出たビジネスジャーナルの記事。

特に目新しい話はなく、ここの所、マスコミの取材に応じていた社長の記事をまとめたもの。
再起を目指しているというのも伝聞情報だろうが、その通りではないかと推測する。

社長の思考経路・事件発覚後の行動から考えて、そう考える可能性は極めて高いだろう。

もしそうだとすれば、相変わらず自分中心にしか世の中が見えてないようである。

2013年3月10日日曜日

粉飾の心理

別ブログに1995年のベアリング事件のことを書いた。
一トレーダーの巨額損失でイギリスの名門ベアリングがとんだ事件だ。

この事件もそうだが、粉飾の入り口はどんな大きな事件でもほんの些細な出来事から始まっている。最初から悪意があったケースというのは少ないかもしれない。

大和銀行事件もそうだったし、住友商事の銅相場による巨額損失もそうだった。

ごまかしを許すゆるい監視体制
ほんの少しの出来心
ごまかしを続けて虚栄を張り続ける自尊心
最後は感覚がマヒしてとんでもない相場を張ることになってしまう。

大抵こんな流れだ。

そして、共通するのが、取り戻そうとする心理が判断をことごとく狂わせる。
相場の神様が、嘲笑っている。
そんな甘いもんじゃおませんで-と。

しかし、誰しも些細なごまかしの誘惑にはいつもさらされている。
「ずる」の著者ダンアリエリによると、人は道義的に許容される範囲内でちいさなごまかしを繰り返すらしい。ごまかしから利益を得る欲求と自分は道徳的で素晴らしい人間であるという境界線ぎりぎりのバランスを取っているという。

おっしゃるとおりかもしれない。
人の定期をちょいと借りようという行為は典型な試金石かもしれない。

ごまかし行為の一線を越えさせないために規制や罰則という抑止力も必要だが、人間の内面にある道徳心に訴える原始的な方法も意外と有効だとダンは主張している。



2013年3月9日土曜日

新しいブログを開設

運用・投資について別ブログを立ち上げました。

相場観と金融工学


このブログは、これまで通り政治・経済・社会問題全般を広くカバーします。

2013年3月8日金曜日

日経平均リーマン前水準回復

日経平均がようやくリーマン前の水準を回復した。

100年に1度とも言われた危機を起こした張本人であるアメリカ。日本をしり目にNYダウは史上最高値を更新した。

日米で、何が同じで何が違うのだろうか。

まずアメリカはリーマンショック後、長きにわたりQEと呼ばれる金融緩和を続けてきた。バーナンキは議会証言や定例会見において、独特の間合いを取りながら市場と慎重に対話を続けてきた。この点は手首の固かった日銀とは大きく違うだろう。
また、金融緩和を受けて進んだドル安は、オバマ大統領の掲げる輸出倍増計画との親和性が高かった。通貨安で大手輸出企業の業績改善を狙う点は日米ともに同じだ。

しかし、何と言っても大きい違いは、危機の発火点であった住宅市場の底打ち傾向であろう。アメリカは毎年200万人以上の人口増加という強い味方がいる。住宅に対する潜在需要は常に存在している。住宅価格は2000年以前からのインフレ調整したトレンドにすでに戻っている。

アメリカは企業業績は好調だが、雇用の回復は依然緩慢だ。本日発表の雇用統計においても改善傾向は示されるであろうが劇的なものではなかろう。

企業業績の好調さとは裏腹に、企業の雇用に対する慎重姿勢はまだ大きく変化していないのだろう。グローバルな競争が激化する中で、コスト競争力を維持するために労働者にはぎりぎりの負担が求められる構造は日米同じ。消費につながる雇用の改善や給与増が何と言っても大きなカギだ。

さて、ここ数日の日本の株価上昇はアベノミクス効果というよりはアメリカに牽引されたと考えたほうがいいだろう。円安も独自要因というよりはドル高効果が強い。

アメリカにだいぶ下駄をはかせてもらったので、必要な改革にも手を広げるチャンスが広がったのではなかろうか。



松井証券社長の意気込み

年明け早々にデイトレ信用取引手数料ゼロ宣言をした松井道夫社長。

これまでも、数々の語録を残してきた。
人事は好き嫌いでやれだとか。
ある意味一見意表を突きながら本質をとらえるのが得意な方だ。

横並びの固定手数料に守られた証券界に殴り込みをかけた男でもある。

その発想と行動力はまことにユニークである。

その松井証券が、これまで取り囲みの対象にしていたデイトレーダー向けの手数料をただにしたのである。
まさに、究極の焦土作戦。

社長によると、意味のない手数料引き下げ競争に終止符を打ち、この消耗戦を早期に収束させるとともに、それ以外の収益基盤の獲得に軸足を移すとということのようだ。

しかし、昨年末から始まった株式市場の活況は続いている。
ビジネスモデルが定まらず苦しんでいた証券業界が、久方ぶりに息を吹き返している。
評価損を抱えて身動き取れなかった個人投資家がやれやれと言っているように。

奇襲に出た松井証券の作戦はいまのところは、功を奏してないようにも見える。
最近のコメントが見つからないが、またまた次なる作戦を考えているのだろうか。

個人的に非常に興味がある。



2013年3月7日木曜日

電子書籍に動きあり

角川書店が100円でミニッツという電子書籍を本格展開するらしい。販売上手な幻冬舎も分割配信という形で低価格を実現するようだ。

電子書籍を出版社から1冊、自身で3冊出していることもあり、これからの動向については気になっていた。

大手出版社はいかに紙ベースの出版とすみ分けるかというのが大きな戦略課題だろう。今回の2社の取り組みはその第一歩だといえる。大手の一角が動き出したことで、ますます業界の動きからは目が離せなくなってきた。同時に、アップルも書籍配信に本格参入している。

アマゾン、アップル、楽天の3社が電子書籍プラットフォームという土俵で対決する。こちらも見ものだ。いまのところ、アマゾンがワンクリック購入・自動同期で先行している。しかし、アマゾンはキンドル端末を普及させるため、最初に電子書籍購入をパソコンから行わなければならないというムリ筋を行っている。しかも、そのパソコンからは購入した電子書籍は見れないという致命的な弱点がある。

スマートフォンユーザーは一旦パソコン経由で同期しなければならないということ。さらに、無料のキンドルアプリを使うということも知らない人が多い。そこをアップルがどうついてくるのか。また、楽天の巻き返しはあるのか。目がはなせない。

一方、出版社にとっての大きな問題は、電子書籍を配信するプラットフォームをどうするかということに加え、価格と分量をどうするか?である。

これまでの紙ベースの世界では、ページ数でだいたい決まっていたようだが、これからはそうもいかない。電子書籍ならではの速報性・追加改訂という機動力もあらたな変数だ。また、内容の陳腐化に伴い価格を下げるということや、絶版になったものも復活させ、品ぞろえで勝負ということもできるだろう。まさに「ロングテール」である。アマゾンキンドルストアではこうしたやや売り上げの落ちた書籍を電子化して、価格と売り上げの実験が行われている。価格とランキングをたまに眺めるだけで、いろいろなことが見えてくる。

また、誰でも電子出版を行えることになったので、ここでも新しい展開が起こるだろう。アマゾンキンドルストアでは、有象無象の新人?一夜作家がひしめきあっている。当然、その品質はピンからキリまである。

このピンキリの中から、個人作家はなんとか抜け出す方法を考え、出版社はこの個人作家の群れをなんとか活用できないかと考える。また、個人出版と出版社の違い、付加価値というものも見えてくる。

ニートといわれる人たちに、これまでのブログアフィリエイト・FXに加え電子書籍という新たな希望が加わった。

これから、いろいろと舞台の裏表で悲喜こもごもの面白い動きが起きそうなので、執筆家のひとりとしてこの動きを追っていきたいと思う。

2013年3月6日水曜日

期待に働きかける政策

日銀は黒田新体制のもと、量的金融緩和によって期待に働きかけ、デフレ脱却を目指す。

リフレとは意図的にミニバブルを起こそうということにほかならず、それだけを目的にするなら主導者は昔のバブル紳士のように大雑把で大胆なほうががいいのかもしれない。

白川総裁につとまらなかったのは無理もなかろう。黒田総裁ならきっとその任に堪えると政府は判断したのだろう。

ところで期待という言葉を聞くとQレシオというのを思い出す。

バブルの最終局面、ファンダメンタルで評価するのが難しくなった株価を理屈づけするためにあみ出された指標である。浜田教授の恩師トービンのQから由来している。

PBRが貸借対照表の資産価格に基づくのに対し、Qレシオは資産の含み益まで考慮に入れた指標である。たぶんに恣意性が働き、時価を使うだけでは間尺に合わず、そのうち土地開発完了後の資産の値上がり期待をカウントしたものまで飛び出した。

相当怪しげな指標ではあったが、買うから上がる上がるから買うというバブルのさなか、誰もあまり細かいことは気にしなかった。

期待に働きかけるということに対しては、やはり危うさを感じざるを得ない。

2013年3月5日火曜日

日銀新体制

大胆かつあらゆる手段をとることで、期待に働きかけて緩やかなインフレを作り出す。この考え方は一理ある。「古き良き時代」を「取り戻す」ための必要条件だろう。(もちろん2の矢3の矢そして4の矢が十分条件)

期待に働きかけるということは、因果関係が必ずしも明確ではないといことを暗示しているわけでもある。このため、経済学上は異論が投げかけられている。議論がかみ合わないのは、この際しょうがない。しょせん経済学に答えはないのだから。前例がないことなので、やってみなけりゃわからない。わずかでも望みがあるなら国民も期待をかける。

無制限な資金供給を辞さないということは、日銀総裁はグローバル金融市場における最大のプレーヤーの一人になるわけだ。そんな人の真意が簡単に市場から見透かされるようでは、うまくいくものもうまくいかないだろう。場合によってはブラフでもとことん突っ張る必要がある。たとえ自信がなくても自信を振りまかねば期待はコントロールできるはずがない。

ところで、日本経済の運命を背負って金融市場と闘っていく気構えと覚悟は本当に大丈夫なのであろうか。

表情や言葉尻からはその内に秘めたる凄味が感じられない。簡単にできると考えているのではないかという口ぶりが非常に気になる。これも作戦のうちならいいのだが。

マーケットの本当の怖さをしらない官僚出身者と研究室で考える学者のコンビで本当にこの前代未聞の挑戦を適切にコントロールできるのであろうか。それこそ途中でおなかが痛くなりましたというのではもちろん済まない。

それだけが妙にひっかかるのである。

2013年3月4日月曜日

金融政策談義

金融政策の効果を巡る論争は、相変わらずさかんで収束の糸口が見えない。

経済学的に決着させようとするからきりがないのであって、実はこの論争は単なる談義なのかもしれない。

つまり、「期待インフレ率が金融政策によって変わるかどうか」ということなら経済学的な色彩が強いが、実態は「期待インフレ率を上げるために前例のない量的緩和をちらつかせる」ことが効くかどうかを茶の間で言い合っているに過ぎない。

賛成派は有効かつ副作用もほとんどないと言う。反対派はひょっとしたら効くかもしれないが、副作用が大きすぎておすすめできないという。しかし、もしちらつかせるだけなら副作用は出ようがない。

実際に効くかどうかは合成された心理的な要素が非常に大きいと思われ、大前研一氏が主張するような心理経済学という範疇に入ってくるのではないか。

そうすると、委縮してしまった日本国民の心理を改善する政策が必要だということだ。金融政策だけが前面に出ているが、ほかにも財布のひもに働きかける方策はありそうな気もする。心理を操作する作戦だから、駆け引きが重要であって、政策当局は真意を説明しないということが局面によっては重要だ。今はそういう局面?

そこまで考えているのだとしたら反対派もかなり納得するのではないか。ただ、真意を説明しないからこそ効くのであって、真意がわからないから反対論議は収束しないというジレンマもある。

2013年3月3日日曜日

金融政策に一石

池尾和人氏のコメント引用
「予想インフレ率を高められるかどうかの核心は、「わざわざ物価水準を高くする必要がなく、望ましくなくても、将来貨幣供給量を増やすに違いないと信用される」こと(credible irresponsibility)は可能かどうかである」

「必要がなく、望ましくないことを将来やると約束して信用してもらうことは、真面目な人や物が分かっている人には、とても無理な話である。例えば、白川日銀現総裁が、将来無責任な行動をとると言っても、誰も信用しない。白川氏であれば、責任ある行動をとるに決まっているからである。それゆえ、クルーグマンの議論は、論理的には筋が通っているが、実践的には有効な提案ではないと私などは考えてきた」

「しかし、物を分かっていなかったり、間違ったことをかたくなに信じ込んでしまっている人が権限のある立場に着けば、credible irresponsibilityが可能になるのかもしれない」
以上

同感するところが多い。
非伝統的金融政策は市場との「騙しあい」の側面が強い。しかし、道理をわかったうえで騙すのと、本当に信じ切って騙すのでは、シナリオが狂った時の対応が違ってくる。
そういう点で、私は少し不安を感じる。
もちろん白川総裁は道理がわかったうえで騙すことができなかった人ということになる。

2013年3月1日金曜日

投資と投機

アベノミクス効果で市場がにぎわっているので、最近投資運用について考えることが多くなった。

まず、投資と投機の違いについて自分なりに整理。

投資とは
 - 事業に資本提供し、オーナー(株主)となりリスクに見合う収益を期待する
 - どちらかというと長期の運用
 - インカムを得ながらキャピタルゲインを狙う
 -  市場全体はプラスサムの状態で、儲かる人が多い
 -  関係者に価値を生み出す
 -  資金が集まりすぎると、投資の期待収益率が低下したり、価格の上昇が需要減供給増をもたらすことで、均衡状態へ戻ろうとする力が働く

投機とは
 -  どちらかというと短期の運用
 -  売買による差額の利益を主たる目的とする
 -  関係者にはなんら新たな価値を生み出さない
 -  あるいは関係者への影響は鑑みない
 -  加熱するとバブルを生む
 -  市場全体がゼロサム、ないしは仲介者の存在分マイナスサムで、ほとんどの人が損をする
 -  対象となるものに稀少性があり、価格が上昇しても容易に供給が増加しないものを対象にする
 -  資金が集まるほど期待が高まり加熱する

まとめると、投資はリスクに見合ったリターンが期待でき、それを実現しようとする行動だといえよう。その行動によって経済・社会全体にもプラスの効果が期待できる。

一方、投機は、多分に利己的な行動で、他人を出し抜いてでも利益を得ようとする行動。行き過ぎてバブルを生むこともあり、経済・社会全体にはプラスの効果は生まない。

投資が正しくて投機が正しくないというわけではない。そもそも、完全に投資と投機を区別はできないわけだし。投機により市場の厚みが増すという効果もある。
ただ、投機と思われる市場・商品・手法で取引を続けることで勝ち残ることは相当難しいということは言えそうだ。

投機的な手法でも利益はあげられる。それが証拠に期待値がマイナスであるギャンブルにおいてさえ、少数のプロ(それで生計を立てる人)が存在する。パチプロ、麻雀、ポーカー、ブラックジャックなど。彼らは、特殊な技能を磨くことで、期待値をプラスにしているのだ。
また、期待値が完全にマイナスとなる他のギャンブルでも、たまたま大きく賭けた時に勝つなどして勝ち逃げできることもある。

証券投資において投機的取引によって収益を上げている人はギャンブルの世界に比べるとはるかに多いだろう。なぜなら期待値がギャンブルよりも圧倒的に高いからである。

ギャンブルはすべて投機だといえるが、証券投資においては投資と投機の線引きが非常にあいまいなので、自分はあくまでも投資を行ってるつもりということも多いだろう。

投資家が投資ではなく投機を行う3つの理由は
①損益以外の要素を楽しむ(ポジポジ病ともいう重い病)
②投機だと気づかないか、最初は投資だったものがいつの間にか投機になってしまった
③不利な戦いだと割り切ったうえであくまでも勝ち逃げを狙う
などが考えられる。
運用のプロといわれる人たちにも③にあたる投機を行うことがある。
成功報酬型のトレーダーや大勝を狙うヘッジファンドに多いだろう。
一般投資家とプロとの垣根はずいぶん低くはなったが、投機的なプロの手法を投資家がそのまままねするのは、危険が大きすぎるだろう。

アベノミクスによって、久々に投資がまっとうに報われそうだ。ただ、金融緩和であぶりだされた投機マネーの動きを理解しておかないとそれこそ、投資のつもりがいつの間にか投機に巻き込まれることにもなりかねない。

こんな時だからこそ、投機に分類される手法も含めて、投資について点検するべき時ではなかろうか。