2013年4月26日金曜日

民主党の税と社会保障一体改革を振り返る

 年金財政が厳しさを増すなか、よく聞かれるようになった言葉が、「社会保障と税の一体改革」です。なぜ「一体改革」なのか。年金改革はどうしても負担増が避けられないため、同じく負担増が避けられない社会保障全体でバランスを考える必要があるからです。
 
 このため、政府はこれまでも年金問題については単独での議論を避け、社会保障全体と税制を含めた議論としてきました。妥当な考え方ではありますが、具体化には相当なエネルギーが必要です。

 安倍政権になって動きが全く見えなくなってしまいましたが、民主党は一応目に見える形で取り組む姿勢は見せました。
 
 民主党の「社会保障と税の一体改革」をめぐる一連の動きは、2011年のはじめに当時の菅直人首相が与謝野馨氏を経済財政政策担当大臣として入閣させ、社会保障の改革を担当させたところから始まっています。2011年2月からは、その与謝野大臣を中心に「社会保障改革に関する集中検討会議」が始まりました。
 
 この会議の議長は菅首相でしたが、実際の責任は全て、議長補佐であった与謝野大臣に丸投げされていました。途中、2011年3月に東日本大震災が発生して審議が一時中断したときには、その存続も危ぶまれましたが、その後10回の議論を経て、なんとか2011年6月に「社会保障改革案」をまとめあげました。
 
 直後の7月1日に、「社会保障・税一体改革成案」は閣議報告されました。その中に盛り込まれていたのは、

・ 2010年代半ばまでの消費税率10%までの引き上げ
・ 新しい年金制度(最低保障年金・所得比例年金)の創設
・ 現行制度の改善
・ 業務運営の効率化

の基本方針です。「新しい年金制度」とは、現在3つに分かれている年金制度を一元化したうえで、一定額を保障する「最低保障年金」と所得に比例した額を受け取ることができる「所得比例年金」を合わせた制度のことを指しています。

 しかし、この成案には消費税増税の時期も示されていたため、民主党内の反発を恐れて「閣議決定」ではなく「閣議報告」とされるにとどまり、玉虫色の決着となりました。
 
 しかも、菅直人首相はこの約1か月前の6月2日に、震災の対応に「一定のめどがつけば退陣」すると明言していたため、この時点で既に菅政権は事実上死に体となっていたのです。この閣議報告は、そんな状況での置き土産となってしまい、なんとも心もとないスタートをきることになりました。これではその後の結果が腰砕けになるのもしかたないのかもしれません。この会議の中心となった与謝野大臣は、これにてお役御免となりました。

 ちなみに、この成案では企業年金については一切触れられておらず、急遽厚生年金基金の検討が開始されたのは、AIJ事件発覚した2012年2月以降でした。

 2011年9月2日に野田内閣が誕生すると、菅内閣の方針を継いだ野田新首相は、10月7日に社会保障改革推進本部を設置し、突貫工事で2011年の年末までに改革案の大枠を固めました。並行して、関連する会議もフル稼働し、成案の一部が2012年の通常国会に関係法案として提出されました。衆参ねじれ国会の中で「近いうちに衆院を解散する」という野党との口約束と引き換えに、2012年8月10日に社会保障と税の一体改革関連法案が成立しました。

 野田首相が「政治生命をかける」とまで言ったこの法案ですが、実質的な中身は、消費税率の引き上げだけと言っていいほどインパクトの薄い内容でした。インパクトが薄いだけならまだしも、消費税の引き上げがさも年金財政を改善するかのような言い回しには呆れてものも言えません。