2012年12月31日月曜日

電子書籍 販売開始



アマゾンキンドルストアにて販売を開始しました。 正月3日限定で無料キャンペーンを行います。

対象にした読者   
バブル期を知らない35歳以下のサラリーマン  
政治に絶望しかけている方
投資哲学に迷いのある方  
あすの日本を信じる方  
自民党を応援したい方

文字数 約2万文字
紙のページ 新書約50ページ相当
想定読了時間 約30分  

 アベノミクスはこれまで行われてきた政策と一体どこが違うのでしょうか?それは本当に成功するのでしょうか?そして、なぜ「デフレウイルス」には直接手をくださないのでしょうか?これらのなぜ?をできるだけ系統的にわかりやすく解説することが本書の狙いです。浅い議論、深い議論、賛否両論入り乱れています。バラバラに記事を読むだけではお互いの主張に振り回されてなかなか本質が理解できません。そういう疑問を本書が一発で解消します。  これまでのところ日銀が全面的に悪玉になっていますが、さすがに日銀に芸がなかったことは認めざるを得ません。各国中銀は中央銀行の信任を落とさないぎりぎりの範囲で名演技を続けています。少なくとも、これまでの日銀はあまりにも原理原則にこだわりすぎたというのは事実でしょう。この隙間を埋めることが、無制限金融緩和の本当の意味であるならばそれは大変素晴らしいことです。しかし...

2012年個人的な10大ニュース つづき

第4位 5月1日 コンビニでバイトを始める
 家にこもっていても気が滅入るだけなので、なんでもいいから職探し。早起きはとくいなので、コンビニの早朝勤務に応募。履歴書も前職には触れずアバウトに。4店舗同時リニーアルオープン。面接店ではシフトが合わなかったけど、隣店からオファーがありました。改装オープンだったので4日間研修があってから実践へ。コンビニってレジ打ちだけじゃないんですね。何かをやるあいだにレジを打つ、そんな感じです。当然ですが大学生と主婦が中心で、アルバイトの中ではダントツのおじさんです。でも、お互いに細かいことは聞かないので案外快適です。いつまでも、アルバイトのままではまずいのですが、12月31日現在まだ続いています。今日もあす元旦も勤務です。

第5位 7月13日 警視庁捜査二課
 いわゆる桜田門です。窓のない部屋に通されました。あまり多くはコメントできませんが、ものすごい経験をしました。結局3日間通いました。家宅捜査の時に持って行かれた出版用の原稿、しっかりと読まれていて、「最新版をだせ」と言われたのにはおどろきました。

第6位 7月18日 東京地検特捜部
 こちらは霞ヶ関です。結局9日間通いました。こチラは窓のある検事さんの普通の部屋だったので、随分と雰囲気は違いました。

第7位 うなぎ弁当のノルマに追われる
 普段の仕事は忙殺されてあっという間なのですが、ノルマが辛い。お中元、お歳暮はもちろんあいだにうなぎだの恵方巻きだの。学生は可愛そうです。仕方がないから、バイト代から自腹で買っている人います。このノルマの季節に一定の人たちがやめていきます。結局同じ時期に入った10人で残っているのは3人です。うなぎパーティを企画して大量購入に成功しましたが、1個ずつ売るのは大変です。

第8位 帰省回数年間最多の6回
 なんだかんだで帰省の回数は過去最多になってしまいました。親族に説明するだけでも大変なわけですから、この時の状況はなんとなくご想像いただけるのではないかと。

第9位 フェイスブックを始める
 ちょうど事件の直前にフェイスブックを初めており、友達が増えつつあった時にあたり、その後の対応に困ってしまいました。勤務先はすぐ消したものの、コメントも返事もまともにできず、大変失礼をいたしました。夏場から徐々に復帰をしました。

第10位 改めて感じる重税感
 とりあえず、今は微々たるアルバイト収入しかないのですが、毎月の国民健康保険、前年分の住民税、国民年金の支払いがズッシリ来ます。もう蓄えもそんなにはありません。増税するなら景気回復をくれ。切なる願いです。

2012年12月30日日曜日

2012年個人的な10大ニュース

どうでもいい個人的な今年の10大ニュースです。
今年は大波乱の年でした。あんまり思い出したくない気持ちもありますが、前を向いて進んでいくためにも、あえて振り返ってみたいと思います。

第1位 2月24日 日経新聞朝刊一面

 朝4時に起きて手にした日経新聞の一面大見出しを見た瞬間です。経験したことのない衝撃を覚えましたが、そのあと何をどうしてどうやって会社までたどり着いたかあまり良く覚えていません。会社の前にテレビクルーがたむろしていたあたりから、記憶は徐々に蘇ってきます。とくに、その後に起こったことが現実だったのか夢の中だったのか思えるくらい、無我夢中で日々をおくったことが蘇ります。電話帳に住所を登録していたため、マスコミも自宅まで押しかけました。いろいろな方がいましたが、総じて不勉強だったというのが残っている印象です。

第2位 6月19日 家宅捜査

 マスコミからの情報で社長逮捕のXデーが近いことは知らされていました。その日は5月から始めたコンビニで朝9時まで働いていました。この日の早朝に社長らが逮捕されたことは知る由もありません。9時過ぎに徒歩で帰宅し始めた時にふと携帯電話を見ると自宅から着信履歴が数回。何事だろうと思って折り返すと「お見えですよ」と妻の声。意外と冷静でした。何回かマスコミを自宅に通していたので、場馴れというものがあったのかもしれません。かわって警視庁の方が出て、作業が始められないのですぐに迎えに行くということでした。近くの大型店の駐車場で待つこと30分。歩いて帰れば着いているはずなので、少しイライラしながら待ったと思います。ようやく迎えのレンタカーが到着しました。近所に気を使ってレンタカーにしてくれているのだと思いますが、初夏の蒸し暑い中、小型車にネクタイをした男が4人も車で押しかければ、何かあったと思われることは間違いありません。案の定、捜査員がダンボール数箱を運び出すところをとなりの奥様に見られてしまいました。数日後、家内は「いろいろ大変ですね」と声をかけられたといいます。事件との結びつきは当然わからないでしょうから、多分ローンか税金が払えなくなって差し押さえでも受けたのではないかと考えたのでしょう。最近周りでそういう話も多いですから。

 
第3位 9月1日 単行本出版

 事件のことをまとめ単行本を出しました。自分の知られたくないことまで書いたものをなぜ出したのか。周りは反対だらけで、一人も出版に賛成する人はいませんでした。しかも本名まで裏表紙に載せて。実は、出版はかなり早い段階から考えていました。最大の理由が、報道が基本的な仕組みを飛ばした推測記事ばかりで、中途半端に対応したのでは誤解がさらに広がるだけだと感じたことです。もし、説明するならまとまった時間とスペースをいただかないと無理だとマスコミ対応を通じて感じたからです。社長も何も説明しないままでしたし、内部の方々は固く口を閉ざしたままでしたし、そのままの状態をいつまでも続けるわけにはいかないと感じたのです。しかし、事件そのものを知っているわけではありませんから、書く内容にも限界があります。過剰な期待を持った方からはただの日記と酷評されました。しかし、この出版は今でも間違っていなかったと思っています。おかげでと言っては恐縮ですが、いろいろな方に一から説明する必要が省けました。なかなか連絡が取りにくかった人たちとも連絡が取れるようになりました。この時点では、まだまだ事件の裏があると考える方も多かったかもしれませんが、その後の捜査、最初の裁判を見る限り、どうやら私が見て感じたことがだいたい正しかったのではないかと思います。

 
第4位 5月1日 コンビニでバイトを始める
第5位 7月13日 警視庁捜査二課
第6位 7月18日 東京地検特捜部
第7位 うなぎ弁当のノルマに追われる
第8位 帰省回数年間最多の6回
第9位 フェイスブックを始める
第10位 改めて感じる重税感
つづく

2012年12月28日金曜日

アマゾンランキングの不思議

謎の多いアマゾンのランキングですが、4ヶ月間動きを見てきて少し謎が解けたような気がします。
まず、1時間ごとにリアルタイムでランキングが変動します。
古い書籍もランキングされています。
この二つがどうしても謎でした。
何らかの最終売りあげ予測モデルでも持っているのかと思っていましたが、どうやらそんな複雑なことではなさそうです。
私の仮説は、ただ古本の販売もカウントしている。
それだけです。
これだと、古い本が古本で売買されることで、新刊に対抗できます。過去に売れた本ほど、流通量が多く、長いことランキング入も可能です。
人気のない本はない本なりに値段が安くなりますから、それなりの需要は出てきます。
噂では、アマゾンの流通の6割が古本だとする説もあります。

2012年12月22日土曜日

取材

もうあんまり事件のことに触れることもないかとは思っていましたが、昨日また取材がありました。大事件だった割には、最近はほとんど報道されてもいませんし、年末今年の重大ニュースの経済編には入るかもしれませんが、社会編には入らないのかもしれません。

そんな中での取材でした。
テーマは保釈金の出処です。
これは、さすがに関心の高いテーマかもしれません。
1億円という保釈金をどうやって調達したかということです。
借り入れと伝えられていますが、あげるつもりでないとなかなか貸すというのも難しいでしょう。
残念ながら全くお役には立てませんでした。
弁護士や裁判所は当然知っているのでしょうが、関係者を聞き回ったところでそう簡単にはわかるはずはないとは思うのですが。
複数の人からかき集めるということは難しいでしょうから、特定の誰かが用立てするしかないと思うのですが、実際どうなんでしょうか。保釈されたのだから本人に聞くのが一番確実でしょう。

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか-経済とはなんだ編②

「パイが増えればうまくいく」こと以外に政治と投資が似ている点がもうひとつある。
どちらも、よりどころとするものに完全な理論が存在しないということだ。投資理論や証券分析などは、経済学の一分野として70年代以降急速に発展した。特に大型コンピュータ並みの演算がパソコンでできるようになった90年代以降は、複雑なシュミュレーションが低コストでできるようになった。経済学の末端において、とても投資理論とは言えないような株価予測モデルが次々と開発されては消えた。
人間のドロドロとした営みの結果である経済現象や、証券市場を合理的に説明するというのが難しそうなことは直感的にはお分かりいただけると思う。こうしたものに取り組む末端の投資家と大元にいる経済学者を一緒にするのもなんだが、追求しているものは一緒である。
経済学の始祖をアダムスミスだすると300年近く、経済学はその主張を華麗に変化させてきた。時代の変化、産業構造の変化、政治構造の変化、経済環境の変化に合わせ、その主張が突然180度変わることもあった。1回死んだ理論が不死鳥のように蘇ることもあった。
経済学も投資理論も第一歩は人間は合理的に行動すると仮定することから始まる。汎用性を高めるために、個別の人間は合理的ではないとしても社会全体・マーケット全体では合理的だとすることで理論は展開される。
このスタートライン自体相当危ういものだ。
最近では人間は状況によっては不合理な行動も行うという「行動経済学」というものまで登場している。
結局、物理学のような「普遍の定理」がないというのが経済学の最大の特徴なのだ。従って常に怪しげな教祖が登場する余地がある。説明力を失うと簡単に捨てられる。名を残した経済学者はその時代においてより真実に近い理論を展開しただけに過ぎない。
「情報は瞬時に反映される」「過去の統計的に処理した関係は将来も成立する」「金利で割り引いたり引き伸ばしたりすれば将来のお金も現在のお金も等しく比較できる」などなど、現在の事象を説明し将来を予測するために実に様々な前提が置かれる。
特に個別具体的な現象や特殊な現象を説明しようとすればするほど、前提条件は無理筋になる。
Aならば常にB。Bならば常にCというような理屈ではいかないのだ。AならばBかもしれない。BならばCかもしれない。だからAは多分Cなのだ。というのが経済学だ。
従って、経済学や投資理論が前提にしている条件が何であるかを正しく理解しないと、それだけを信じ込んで大きな意思決定を行うといつかは大きな落とし穴にはまる。権威のある経済学者も、マーケットの末端の片隅で株価予測モデルを開発しているオタクトレーダーも、同等に眉唾ものである可能性を持っているのだ。
今回はアベノミクスという政策が賛否両論分かれて大賑わいだ。
一般の方はこの現象をどう捉えればいいのだろうか。

2012年12月19日水曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか-経済とはなんだ編①

政治は経済を相手にする。投資はマーケットを相手にする。
この2つには共通点がある。

政治も投資も相手にする経済やマーケットのパイが増えているときは、あまりたいしたノウハウがなくてもほとんどの人が成功するということだ。経済が成長していれば、多少いい加減な政策をやろうが、途中に中抜きの不純物が混じってようがが、多少非効率な仕組みがあろうが時間がすべてを解決する。

投資も右肩上がりの市場においては、評価損になっても粘っていればいずれ回復する。
73年の第1次オイルショックまでの高度成長時代には、イケイケどんどんの政策を取りさえすれば、それは必ず成果を生んだ。たとえ、最も洗練された方法ではなくても結果はついてきた。しかし、その後の約10年間は世界経済は石油高によるインフレ下での景気低迷に翻弄された。第2次大戦後の経済復興・成長を牽引してきた需要創出型ケインズ政策は見るも無残な結末を生んだ。残ったものはインフレと財政赤字であった。アメリカの双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)はみるみる膨らんでいった。その後、イギリスではサッチャー政権が、アメリカではレーガン政権が、減税・規制緩和を柱とする新自由主義・供給重視の政策をとり経済回復への道筋を付けた。政治を支える経済学の主流もケインズからマネタリズムへと変貌した。

その間日本は、効率的できめ細かい企業経営がエネルギー高を起因とするインフレの荒波を乗り切った。ジャパンアズナンバー1と日本的経営が世界中でもてはやされた。しかし、その間政治は何も変わらなかったのだ。変わるはずもない、自民党の長期政権が永遠と続いていたわけで、派閥間で政権をたらい回ししてきたに過ぎない。体に染み付いた成功体験は変わるはずがない。もはや人が入れ替わるのを待つしかないのかもしれないが、今回は自民党の圧勝でそんな成功体験おじさんまで返り咲いた。

ちょうどオイルショックが起こった1973年に奇しくも年金の大盤振る舞いが始まっている。この73年を年金学者は福祉元年と呼んでいる。今日の経済財政問題の原点は40年前の1973年にあるといってもいいだろう。この年に年金官僚は老後の福祉を充実させるために、とんでもない設計ミスを犯し、それに政治家が軽く乗った。おりしも高度経済成長の最終局面であったが、この経済成長が永遠に続くことを前提に、年金制度はこのとき途方もなく充実した。5年ごとの財政再計算という見直しのたびに給付の削減、掛金の引き上げが必要なことはこの時からわかっていたにもかかわらず、時間が経てばなんとかなるという考えで改正は強行された。パイが増え続けるという前提だけを頼りに、責任者不在のまま実行された政策がその後手を変え品を変え改悪されパッチワークを施されただけで今日に至っている。(この問題はまた、別途取り上げる必要があるだろう)

2012年12月15日土曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか ⑦

ここまで書いてくると、行政を司るはずの官僚、法律を立案制定するはずの国会議員、主権者であるはずの国民それぞれが、あいまいに依存し合っている構図がなんとなく見えてくる。この相互依存のもたれあい構図は40年にわたるしがらみの中で複雑に形成されてきたものだ。口先だけの約束事や動かしやすい何か一つを変えただけでは、微動だにしないほど頑強なものになってしまった。現に民主党のチャレンジはあえなく玉砕した。これを解き放つには、今までにない強烈な刺激が必要なのだ。口に優しい偽薬を飲んで延命だけしていると、だんだん麻痺して本当に効くはずの劇薬すら効かなくなってくる。
こうした問題を紐解いていくのが、この連載のチャレンジである。これから書いていくことは、現時点で大まかにはイメージできてはいるが、現在進行中の現実に即してスライスするかもしれない。また、途中で思考が交錯しアップが遅れるれるかもしれない。それはお許し下さい。
ただ、一つ言えることは「通常時に有効な財政政策や金融政策だけでは新たな付加価値を生み出すことはない」という大原則である。このことを国民、政治家、官僚が本当の意味で理解すれば、それぞれがやるべきことは次第にはっきりしてくるはずである。
このあとシリーズは「経済とはなんだ編」「三主体(国民、政治家、官僚)それぞれの問題編」に分かれていく。

2012年12月14日金曜日

ひとりごと②

振り返ってみた。
軽い人生だった。
悩まない性格かもしれない。
でも、顔が怖いと言われるので写真はアップでは載せない。
深く考えないで就職した。
それなりに出世もした。
不満はなかった。
何回も誘われるので転職した。
責任取れと言われたのですぐに辞職した。
本当は派閥抗争だが流れに逆らう気もない。
いきなり土地勘もない商売を始めた。
だめだと思ったのですぐやめた。
やっぱりサラリーマンだと思って入った会社はとんでもないブラックだった。
ほとんど考えていない。
甘い?
ただの間抜け?
今となって少し考え始めた。
でも悩まない。
できることを少しづつやるしかない。

2012年12月13日木曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか ⑥

もともと、背伸びして成長したのだ。そのときの考え方、仕組みがいまだに頭のどこかにある。問題があっても、先延ばしすれば、またいい時代がくると願う。たとえ可能性が低かろうと、それを先頭きってやっているのが、政治家なのだ。また、国民もうすうす無理だとは感じながら、そんな政治家を選んでしまう。結局その繰り返しを今回もしてしまうのだろう。
自民党にはもう少し野党でいてほしかった。中途半端な復権は、またまた問題を先送りにしてしまう。「取り戻す」という考え方がすべてを象徴する。
今、まじめに日本を動かそうとすれば、耳障りのいい政策になるはずはない。
相変わらず右肩上がりの経済成長を作文し、それを前提にして、分配の幻想をバラまくことで当選する。
国民も何事につけ、抜本的な対策、解決、白黒をつけることを避けたがる。不良債権を先送り、表面化を嫌って粉飾に手を染め、財政問題を先送る、こうした数々のゴマカシを暗黙のうちに後押ししてきた。自業自得。
逆説的だが、経済成長を諦めることこそが、本当の意味での経済成長のスタートになる。経済成長を前提とした過去のしがらみを捨てることこそ、遠回りに見えるが、結局近道なのだ。残された時間はそう長くはない。

過去のしがらみの多くは官僚たちの支配下にある。

2012年12月12日水曜日

長期連載 日本の政策はなぜ迷走するのか ⑤

政治家が金融政策を持ち出す理由は割と単純だ。金融緩和には少なくとも延命効果はある。すべてが好連鎖すれば、まさかの景気回復もおこるかもしれない。しかも、予算を組む必要もない。
目先国民に痛みを強要しない政策は、政治家にとっては非常に好都合なのだ。
しかし、金融政策のいい面悪い面を真剣に考えている議員は少ないだろう。本当はセットになっている国土強靭化計画の方がよりポイントのはずだが、これについてはいささか歯切れが悪い。財政出動には将来のつけという影がちらつくから、へたに踏み込めないのだ。利権だのバラマキだの言われて票が逃げてはたまらない。最初は、建設国債の日銀引き受けというかなりのビンボールまで投げたが、さすがに、トーンダウンした。
結局、効果の疑わしい金融政策を全面に出して、名目成長3パーセントという目標だけを語る。なぜ、3パーセントなのかもいまだに不明だ。どうせなら年金が前提にする予定利率の4・1パーセントにしても良さそうだが、それだと嘘臭すぎるとでも考えるのだろうか。とっても不思議で微妙な3パーセントである。

2012年12月11日火曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか④

これまで、政府は何もしてこなかったのかというとそうでもない。その時点その時点で痛みを伴わない政策はそこそこ実行してきた。
今回の衆議院選挙において政権を取ると思われる政党は金融緩和を景気回復の目玉に掲げている。
しかし、これまで日本は世界に先駆けてゼロ金利に踏み切り、それでも充分でないということで量的緩和もやってきたのではなかろうか。最近ではさらに踏み込んで、株式に連動するETFという投資信託まで買っている。
「いや、これまでのやり方が十分ではなかったから」ということのようだが、果たして本当にそうなのだろうか。

2012年12月10日月曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか③

日本経済の現状は、上昇する大きな気球の中にあるエスカレーターのようなものだ。我々が今乗っているのは下りのエスカレーターである。今いる場所からどこまでも続くエスカレーターの降り口は見えない。選挙戦が始まって、少し足元は明るくなった。さいわいなことに、エスカレータを乗せた気球はゆっくりと上昇している。この大きな気球が上昇しているあいだは、我々の位置は地上から見ると上昇している。

1970年代前半までの高度成長期には我々はかなり高速な上りエスカレーターに乗っていた。世界中からその高速エンジンが羨望のまなざしをあびた。その後2度のオイルショックにより運行が不安定になる時期もあったが、80年代後半には円高金利低下を受けてエンジンは再加速した。ところが、調子に乗って加速しすぎてオーバーヒートしてしまった。その後はエスカレーターのエンジンは正常化せず、なぜか逆回転し始めエスカレーターは下り始めてしまった。それでも小泉政権時代には構造改革と輸出主導の景気回復で、一時的にエスカレーターを止めることには成功した。正常回転に戻りかけた矢先にサブプライムショックとリーマンショックに襲われた。現在は、再び下りのエスカレーターに乗っている。

ここでいう、上昇する大きな気球とはなんだろうか。一つは世界経済の成長である。もう一つが、日本人がこれまでに貯めた世界中にある資産とそれからの収益である。たとえ下りのエスカレーターに乗っていても、気球が上昇しているあいだはまだ方策はある。気球内で知恵を振り絞ればエスカレーターのエンジンを修理する方法はまだ残っている。少なくとも上らないまでも下りのエスカレーターは早く止めたい。

しかし、たよりの気球はそもそも悪天候に弱い。リーマンショックという乱気流に巻き込まれて穴があき、一時はかなり高度が下がった。穴は中国が先頭になって塞いだ。その中国の作業員も最近はさすがにお疲れ気味のようだが、かわりにアメリカの補修員が少し元気を取り戻し始めた。いまのところ全体としては保守作業は何とかなっているので気球はゆっくりと上昇を続けている。シートベルト着用のサインは消えたが、乱気流注意報はまだ解除されていない。

2012年12月7日金曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか②

20年を超えた日本の景気低迷。一向に出口は見えない。最初の10数年は80年代後半のバブルのつけ払いが最大の要因だ。メガバンク再編・公的資金の投入で不良債権はなんとか一掃した。

小泉政権下において一時的に景気は回復したかに見えた。これは、2000年に破裂したITバブルと911テロで傷ついた米国経済を立て直すためにFRBが徹底した金融緩和を行った成果だった。米国主導の経済成長が世界景気を牽引し、そのおこぼれを日本は頂戴した。小泉政権は、構造改革を旗印にし規制緩和に取り組んだ。実際の成果はともかくとして、アメリカが牽引する世界経済のパイの拡大と円安傾向が輸出企業を元気づけた。さらに、規制緩和構造改革路線が金融市場に支持され株高がしばらく続いた。

しかし、この裏で確実に少子高齢化という潜在成長率低下の最大要因は確実に進行していた。骨太の方針を打ち出しては見たが今ひとつ踏み込めなかった。運用不振に喘いでいた年金運用も一息きついて油断した。

そこにリーマンショックが直撃した。牽引役の米国がこけたのだから、ひとたまりもない。もともとバブルのつけをバブルで払っていたのだからそのマグニチュードは果てしない。一時は100年に1度の危機と言われた。他力本願だった日本経済は完全にはしごを外された。財政構造改革も油断していたので、抜本的なメスは入れられていない。景気刺激をやりたくても財政赤字が気になって、お茶濁し程度しかできない。最たるものが麻生政権末期の「定額給付金」だ。支給コストに1000億円近くもかけたわりにその効果はまったくもって不透明だった。

2012年12月6日木曜日

ひとりごと①

考えた。
今の自分にできること。
正直に伝えたい。
ただそれだけ。
自分がこれまで生きてきて
見たこと聞いたこと経験したこと、そして感じたこと
思い出すままあるがまま伝えていきたい。
意味のないことかもしれない。
それでもいい。
何かを残しておきたい。
ただそれだけ。

10ヶ月もたったのか

あれから10ヶ月近くがたとうとしている。
本当にあっという間だった。
忘れもしない2月24日の日経新聞朝刊。
会社についたらマスコミのクルーの姿。
突き刺さるような世間の眼差し。
解雇。
アルバイト。
家宅捜査。
警視庁。
検察庁。
出版。
捜査終結。
初公判。
ほんとうにあっという間だった。
今の自分に何ができるのか。
改めて考えたい。

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか ①

経済学とは不思議な学問である。つぶしが効きそうだからという理由で経済学部を選ぶ受験生は多い。とりあえず何を学べばいいかわからないけど、偏差値も高いし、就職にも有利(ホントに?)というのが受験生のホンネであろう。とりあえずで選ぶ学部が経済学部かもしれない。かくいう、私も経済学部出身である。大学で学んだ経済学がどこでどう生かされているのか正直いまだによくわからない。経済という人間の営みの過程と結果を学問として追求する。人間の欲が絡んでくるので、なかなか物理学のような普遍的な定理は少ない。ほとんどの場合、経済現象を理屈で説明するために、無理筋な前提条件や仮定をおかなければならない。前提や仮定の置き方によっては正反対の結論になったり、恣意的に結論を歪めることも可能だ。しかし、この経済学という学問、国の政策を決めるときにそれなりに重要なよりどころになっているらしいのだ。

例えば、デフレからの脱却の処方箋。いま日本の喫緊のテーマだ。TPPへの参加問題。自由貿易、開国、グローバリゼーションと聞いただけでわかるようなわからないような言葉が並ぶ。それを裏付けるために、リカードだのケインズだのマネタリズムだの経済学者たちの理屈が幅を利かせる。

政策論争をするときにも、「それは経済学的に間違っている」という槍をちらつかせ、経済学に自信のない相手を牽制するのは学歴のある政治家の常套手段だ。はたして、経済学とはそんなにもえらいのか。絶対的な水戸黄門の印籠なのか。絶対的に正しい普遍の理屈なんて本当にあるのだろうか。

経済学に縁もなくフツーに暮らす人ほど直感的にわかっているのかもしれない。今では少なくなったが、八百屋や魚やさんなど地元で商売をし、皮膚感覚で景気を感じる人々にとってと経済学は「学者さんのいうこと」と別次元のものであるに違いない。

しかし、その経済学を意識的なのか無意識なのかはわからないが、ふり回して、現在の政治および国の運営が行われているのは事実だ。悲しい現実だがしょうがない。それについて連載を展開する。

2012年12月5日水曜日

初公判 - 浅川被告起訴事実を認める

「騙すつもりがあったかどうか」については争わないまま、起訴事実を全面的に認めるという内容でした。最大の争点であった「騙すつもり」の部分を飲み込み、容疑を認めたことで、争点はなくなりました。

今回のコメント内容は事件発覚後すぐにでもできたはずだと思います。いやすべきでした。それが今日まで伸びてしまったことがただただ残念です。

新連載 なぜ日本の政策は迷走するのか

このテーマで少し書いてみたいと思います。このブログと研究所のFBページに随時アップします。ある程度溜まったら、HPに整理して載せ替えるという感じにしようかと思ってます。今日は初公判の感想があるので初稿はあすからにしたいと思います。

2012年12月4日火曜日

初公判を控え

何件かマスコミの方から連絡を頂いています。今更役に立つ情報もないので、もっぱら公判を控えた感想を聞かれています。記事にはならないでしょう。容疑事実は争わないようですから、とりあえずあすは検察の見立てが中心になると思います。私の興味は検察が資金の流れをどこまで解明し、それをどこまで冒頭陳述の中で説明するかということです。今日になってAIA(ケイマンのファンド管理会社)に資金18億円があったことを報じていますが、AIAが浅川・高橋に分配していない資金を内部留保しているのはあたり前の話で、それがどういう流れでAIAに残っていたかということが重要です。

2012年12月3日月曜日

電子書籍「AIJ」

AIJ年金詐欺事件は今年最大の経済事件だったといってもいいだろう。いま振り返ってみてびっくりするのが、「闇株新聞」の事件発覚翌日2/25の投稿である。「オリンパス事件に類似しているものの「極めて単純」な事件であるため、本誌で何回も取り上げることはない」といいきっていたのだ。しかし、その後は消失した2000億円をめぐって、いろいろな憶測が飛び交った。やはり海外私募投信、ケイマン、HSBCという単語から受ける印象が事件の闇の存在を連想させたのだろう。さて、いよいよ12月5日は初公判である。裁判での争点は極めて少ないと噂されている。浅川被告の主張は変わらないだろうが、西村・高橋被告が何を語るのか。そのあたりを鈴木一郎がまとめてくれたのが今回の「AIJ」という電子書籍である。通勤時間でちょうど読める手軽な量なので通勤の友シリーズと名付けた。ぜひ、公判前に無料でダウンロードして、この事件の意味を一緒にお考えいただけたらと思う。

グーグルアドセンス

九条経済研究所のHP公開に合わせて、グーグルアドセンスを使って多少広告しようかと思ったのだが、意外とハードルが高い。物理的に会社が存在し、正式な連絡先がないと広告主にはなれないようだ。なれないとは言われなかったが、審査で落ちるかもしれないと言われた。まあ、別に喫緊に迫られているわけではないので、申し込んであとから審査に落ちるのもしゃくなので、とりあえず今回は見送ることにした。幸いAIJや九条で検索するとほぼ九条経済研究所は上位に出てくるので、別に広告宣伝は必要ないのかもしれないが。

HP立ち上げ

なんとか九条経済研究所のHPが立ち上がりました。当面は九条清隆・鈴木一郎・丹沢修・岩川達俊4名による運用です。いずれも金融機関関連者です。経済問題について、それぞれの持分を活かした執筆を行っていく予定です。鈴木一郎の電子書籍はアマゾンの審査が済み次第リリースされます。よろしくお願いします。

2012年12月1日土曜日

独白

「やめときな」
「そんなことしなくても」
「おとなしくしておけば」

2012年5月に出版のことを伝えた時の周りの反応です。既に角川書店からのGOサインはもらっていました。しかし、身内家族の説得に時間がかかりました。でも、私の思いを最後は聞き入れてもらいました。とにかく、外から見ると本当にわかりにくい事件でした。あの時点では中途半端に答えても、正しく報道されるとはとても思えませんでした。中途半端に答えるなら、まとめた形で書籍かWEBしかないと思っていました。最初は角川の作りたい書籍と自分の伝えたい内容にもギャップがありました。でも、自分が見て感じたことをリアルに伝えるということで、最終的にはああいう内容になりました。ただ、自分としてはまだまだ伝えきれてないことがたくさん残っていました。その一部をFBで展開し、それをあらたに今回HPにまとめました。そのHPがいよいよ公開されます。FBをHPに移したのは、やはりひとりでも多くの人に読んで知ってもらいたいからです。まだまだ書きたいことは残っています。これからも少しづつ形にしていきたいと思います。

マスコミの生態

初公判を控え、未だにポツポツと取材依頼が入ります。取材に来るマスコミの顔ぶれについて大変面白いことに気づきました。事件発覚後から取材にきたりコンタクトしてきた社は9月の出版以降一切来ていないということです。すなわち、8月までのマスコミと9月以降のマスコミの顔ぶれが完全に入れ替わったということです。これは、ある意味マスコミの生態を端的に表しているのではないかと分析しています。