2012年12月6日木曜日

長期連載 なぜ日本の政策は迷走するのか ①

経済学とは不思議な学問である。つぶしが効きそうだからという理由で経済学部を選ぶ受験生は多い。とりあえず何を学べばいいかわからないけど、偏差値も高いし、就職にも有利(ホントに?)というのが受験生のホンネであろう。とりあえずで選ぶ学部が経済学部かもしれない。かくいう、私も経済学部出身である。大学で学んだ経済学がどこでどう生かされているのか正直いまだによくわからない。経済という人間の営みの過程と結果を学問として追求する。人間の欲が絡んでくるので、なかなか物理学のような普遍的な定理は少ない。ほとんどの場合、経済現象を理屈で説明するために、無理筋な前提条件や仮定をおかなければならない。前提や仮定の置き方によっては正反対の結論になったり、恣意的に結論を歪めることも可能だ。しかし、この経済学という学問、国の政策を決めるときにそれなりに重要なよりどころになっているらしいのだ。

例えば、デフレからの脱却の処方箋。いま日本の喫緊のテーマだ。TPPへの参加問題。自由貿易、開国、グローバリゼーションと聞いただけでわかるようなわからないような言葉が並ぶ。それを裏付けるために、リカードだのケインズだのマネタリズムだの経済学者たちの理屈が幅を利かせる。

政策論争をするときにも、「それは経済学的に間違っている」という槍をちらつかせ、経済学に自信のない相手を牽制するのは学歴のある政治家の常套手段だ。はたして、経済学とはそんなにもえらいのか。絶対的な水戸黄門の印籠なのか。絶対的に正しい普遍の理屈なんて本当にあるのだろうか。

経済学に縁もなくフツーに暮らす人ほど直感的にわかっているのかもしれない。今では少なくなったが、八百屋や魚やさんなど地元で商売をし、皮膚感覚で景気を感じる人々にとってと経済学は「学者さんのいうこと」と別次元のものであるに違いない。

しかし、その経済学を意識的なのか無意識なのかはわからないが、ふり回して、現在の政治および国の運営が行われているのは事実だ。悲しい現実だがしょうがない。それについて連載を展開する。