2013年3月13日水曜日

金融政策論戦の先

新しい日銀に求められることは、中央銀行としてできる限りのことをするということだろう。その場合、通貨の信認を守るという絶対的な使命があることは当然過ぎて言うまでもない。その中で、知恵をだし、汗をかき、市場との間で蝶々の駆け引きをやれということ。要はFRBのバーナンキやECBのドラギに負けるなということである。

日本はようやくリーマンショック前を回復したというのに、NYダウは早々と史上最高値を更新した。欧州にしても南欧諸国の問題を抱えながらも、一時期の危機感は大きく後退し最高値を虎視眈々とうかがっている。それに比べ日銀はいったい何をやっているのだという思いが極まっていたのがリフレ派だろう。それに対し、反リフレ派は金融政策万能論のような浮足立った風潮が広がることが気に入らないようだ。

しかし、日銀が中央銀行としての独立性を守り、独自のやり方でいままで以上にできることは何でもやるということであるならば、あんまり目くじらを立てるほどのものでもないはずである。結局、非伝統的金融政策、無制限の金融緩和、前例のない金融緩和といろいろいうけれど、やろうとしていることは、買い入れ対象資産を増やして日銀のバランスシートをさらに膨らませるということにほかならない。それが通貨の信認を守るという範囲でどこまでが適正なのかが前もってわからないということが悩ましい問題なのである。それに答えがないから、反リフレ派は必要以上に神経をとがらせる。ましてや、物価上昇を目標にすることが、際限のないバランスシート拡大につながるのではないかと懸念する。ある閾値を超えるとインフレがコントロールできなくなると主張する。現実にはこれまでも買い入れを増やしてきたわけであり、これまではよかったが、これからはいけないというわけでもなかろう。ただ、その限界がどこにあるのかがわからないから怖いのである。

しかし一方で、その限界に最初から言及してしまうと出る効果も半減してしまうというのが良識的なリフレ派の考えなのだろう。その辺の阿吽の呼吸が通じ合っているのであれば、あんまり金融政策論議を周りでああだこうだいうことは杞憂なのかもしれない。しばらく休戦してみてはどうか。

ところで、NYダウの史上最高値更新は何を意味するのであろうか。FRBの大胆な金融緩和で援護射撃をする間に、アメリカの持つ潜在力が動き始めた結果といえそうだ。好調な企業業績に支えられていることは間違いないが、雇用情勢や末端経済との間に存在するギャップは少し気になる。

果たして日本のもつ潜在力は何か。伸ばすべきものは何か。成長戦略・TPP参加というのが叫ばれているが、人口減という大きなハンディキャップを十分に補ったうえで潜在力に働きかけることができるのであろうか。日本最強論者たちが口をそろえて世界一だと強調する、日本国債を十分吸収できるほど潤沢にある民間貯蓄とこれまでに貯めてきた対外純資産、この二つをもう少し具体的に活用する方法が今こそ必要なのではなかろうか。特に高齢者にかたよっている金融資産をどう生かすかが大きなカギを握っているのではなかろうか。これこそ大いに議論したい。