2013年3月10日日曜日

粉飾の心理

別ブログに1995年のベアリング事件のことを書いた。
一トレーダーの巨額損失でイギリスの名門ベアリングがとんだ事件だ。

この事件もそうだが、粉飾の入り口はどんな大きな事件でもほんの些細な出来事から始まっている。最初から悪意があったケースというのは少ないかもしれない。

大和銀行事件もそうだったし、住友商事の銅相場による巨額損失もそうだった。

ごまかしを許すゆるい監視体制
ほんの少しの出来心
ごまかしを続けて虚栄を張り続ける自尊心
最後は感覚がマヒしてとんでもない相場を張ることになってしまう。

大抵こんな流れだ。

そして、共通するのが、取り戻そうとする心理が判断をことごとく狂わせる。
相場の神様が、嘲笑っている。
そんな甘いもんじゃおませんで-と。

しかし、誰しも些細なごまかしの誘惑にはいつもさらされている。
「ずる」の著者ダンアリエリによると、人は道義的に許容される範囲内でちいさなごまかしを繰り返すらしい。ごまかしから利益を得る欲求と自分は道徳的で素晴らしい人間であるという境界線ぎりぎりのバランスを取っているという。

おっしゃるとおりかもしれない。
人の定期をちょいと借りようという行為は典型な試金石かもしれない。

ごまかし行為の一線を越えさせないために規制や罰則という抑止力も必要だが、人間の内面にある道徳心に訴える原始的な方法も意外と有効だとダンは主張している。